泥利可汗
泥利可汗(Niri qaγan、呉音:ないりかがん、漢音:でいりかがん、拼音:Nílì kĕhàn、生没年不詳)は、西突厥の可汗。鞅素特勤の子で、木汗可汗の孫[1]。泥利可汗(ニリ・カガン)というのは称号で、姓は阿史那氏で、名は不明。
生涯[編集]
587年、阿波可汗が葉護可汗に捕えられたので、西突厥の国人は鞅素特勤の子を立てて、これを泥利可汗とした。
大義公主は泥利可汗と連結した。
601年、泥利可汗と葉護は鉄勒に敗北した。歩迦可汗はまた隋に対し反乱を起こしたが、敗北して吐谷渾に奔走した。
泥利可汗はまた敗北し、戦死すると、子の達漫が立ち、泥撅処羅可汗と号した。
家族[編集]
- 父
- 鞅素特勤…木汗可汗の子
- 妻
- 向氏…中国出身
- 弟
- 婆実特勤…向氏を娶る
- 子
- 達漫(曷薩那可汗)
- 闕達度設