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柳本飛行場(やなぎもとひこうじょう)は、かつて奈良県磯城郡柳本町(のちの天理市長柄町、岸田町)に存在していた大日本帝国海軍の飛行場である。正式名称は大和海軍航空隊大和基地[1]。
帝国海軍の航空基地であり、大和海軍航空隊、近畿海軍航空隊司令部が置かれていた[1]。
当初は海軍飛行予科練習生(予科練)教育航空隊である奈良海軍航空隊用として計画されたが、供用が開始されたのは既に戦局が悪化した1945年(昭和20年)2月初旬のことである。戦後は米軍に接収されたが、接収終了後は農地に戻された。土地改良によって痕跡は薄れてはいるが、防空壕などの付帯設備の残骸が周辺各地に残っている[2]。
- 1943年(昭和18年) - 予科練教育用として計画開始。
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)
- 2月初旬 - 滑走路1本をはじめとする基地施設が概成。
- 2月11日 - 第二美保航空隊が本基地へ移転し、大和海軍航空隊として開隊。
- 終戦後 - 米軍により接収。
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