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松井 元興(まつい もとおき、1873年12月25日 - 1947年5月24日)は、日本の物理化学者。京都帝国大学総長、立命館大学学長、日本物理化学研究会初代会長。
旧筑前福岡藩士・広羽元佐の二男として福岡県早良郡内野村本城(現・福岡市早良区内野)に生まれる。幼少期に福岡市の松井家の養子となる。1892年福岡県立尋常中学修猷館[2]、1895年第五高等学校理科[3]を経て、東京帝国大学理科大学化学科にて分析化学を専攻。
1898年東京帝国大学卒業後[4]、長崎県尋常中学玖島学館教諭、愛知県立第一中学校教諭、東京高等師範学校教授、第六高等学校教授を経て、京都帝国大学理工科大学助教授となる。1907年、分析学研究のためドイツ、イギリス、フランスに留学し研究生活を重ねた後、京都帝国大学理工科大学教授に就任する。
1933年、滝川事件で政府に徹底抗議して辞職した小西重直に代わり京都帝国大学第10代総長に就任し、当時の文部大臣鳩山一郎と妥協策をはかって事件を収拾させた。京大退官後、立命館大学第5代学長に就任している(1941年3月 - 1945年12月)。
実弟には鐘紡社長、日本合成化学工業社長、民生産業(現・UDトラックス(旧:日産ディーゼル))社長を務めた城戸季吉がおり、子息には京都大学経済学部名誉教授松井清がいる。
主な著作[編集]
- 「科学随筆 雪の竹 -遺稿集-」(1951年、績文堂)
- 「分析化学の進歩 第2巻」(1944年、共立出版)
- 「科学と日本精神」(1944年、大空社)
- 「増訂改版 分析化学」(1930年、裳華房)
- 「有機化学講義 蔵名」(1925年、裳華房)
- ^ 『人事興信録第10版下巻』マ之部65(人事興信所、1934年)
- ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員1頁
- ^ 『第五高等学校一覧(自昭和11年至昭和12年)』(第五高等学校編、1936年)178頁
- ^ 『東京帝国大学一覧(從大正7年至大正8年)』(東京帝国大学、1919年)學士及卒業生姓名282頁
- ^ 『官報』第124号「叙任及辞令」1912年12月27日。
外部リンク[編集]
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立命館大学長 |
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京都法政学校長 | |
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京都法政専門学校長 | |
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(旧制専門学校)京都法政大学長 | |
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(旧制専門学校)立命館大学長 | |
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立命館大学長 | |
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京都大学総長(京都帝国大学総長:第10代:1933年 - 1937年) |
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京都帝国大学総長 | |
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京都大学総長 ※1949-1954学長 |
- 第13代 鳥養利三郎 1947-1951
- 第14代 服部峻治郎 1951-1953
- 第15代 瀧川幸辰 1953-1957
- 第16代 平澤興 1957-1963
- 第17代 奥田東 1963-1969
- 第18代 前田敏男 1969-1973
- 第19代 岡本道雄 1973-1979
- 第20代 沢田敏男 1979-1985
- 第21代 西島安則 1985-1991
- 第22代 井村裕夫 1991-1997
- 第23代 長尾真 1997-2003
- 第24代 尾池和夫 2003-2008
- 第25代 松本紘 2008-2014
- 第26代 山極寿一 2014-2020
- 第27代 湊長博 2020-
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