岐阜パルコ
岐阜PARCO GIFU PARCO | |
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2005年2月 | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒500-8833 岐阜県岐阜市神田町9-12 |
開業日 | 1976年 (昭和51年) 9月23日 |
閉業日 | 2006年 (平成18年) 8月20日 |
商業施設面積 |
8,200 m² ※地上8階地下1階[1] |
店舗数 | 約50店舗 |
営業時間 | 10時 -20時 不定休 |
前身 | 山勝百貨店 |
最寄駅 | 岐阜駅・名鉄岐阜駅・新岐阜駅前駅 |
岐阜パルコは1976年から2006年まで岐阜県岐阜市で営業していたファッションビル。
概要[編集]
開店までの経緯[編集]
前身の山勝百貨店は赤字体質から脱却できず、1973年4月、西武百貨店と資本提携が締結された[2]。店舗の改装に10億円を投じて「岐阜PARCO」に転換され、1976年(昭和51年) 9月23日に開店した[3]。
開店当初[編集]
「岐阜PARCO」は池袋、渋谷、札幌に続く4号店で東海地方では初のパルコ出店で、当時の同地方では目新しいテナントが入っていたことから名古屋方面から訪れる人も多かった。名鉄岐阜駅前交差点の一角と立地の良さもあり、待ち合わせ場所として定着するなど時代の最先端であるランドマーク的存在として賑わいをみせた。
経営環境の変化[編集]
1989年にはより大型な「名古屋PARCO」[4]開店や、1988年の「マーサ21」[5]以降は岐阜市郊外での大型商業施設開業が相次ぎ、市内のドーナツ化現象と名古屋方面へのストロー効果が進み岐阜市街地の求心力が低下していった。1999年に柳ヶ瀬商店街の岐阜近鉄百貨店閉店を発端に、2000年代に市街地の大型商業施設で閉店ラッシュが起きた。
閉店発表[編集]
経営するパルコ(本社東京都渋谷区、伊東勇社長)が、2005年(平成17年) 8月31日の取締役会で来年8月末での閉店を決定し発表した。2005年2月期は売上高24億890000円でピーク時(1992年2月期)の三割程度まで落ち込み、減損会計の早期適用により赤字に陥っていた。経営環境の変化で売り上げが伸び悩み、建物の老朽化対応も重なっていたのが理由[6]。この年は道路を挟んで向かい側に建つ新岐阜百貨店の閉店と、名鉄岐阜市内線が全線廃止されている。2006年(平成18年) 8月20日をもって30年の歴史に幕を下ろした。
閉店後[編集]
山勝時代からの建物は閉店から一年ほどのちに解体済であるが、跡地利用については幾度も計画が頓挫し2012年以来コインパーキングの状態が続いている[7]。
テナント[編集]
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8F[編集]
7F[編集]
- 自由書房(書店)
- ポストホビー(模型店)
6F[編集]
- 無印良品(生活雑貨)~閉店まで
5F[編集]
- アバハウス(メンズウェア)~閉店まで
- コムサ・デ・モード(メンズウェア)~閉店まで
4F[編集]
- ヴィレッジヴァンガード(書店)
3F[編集]
2F[編集]
1F[編集]
B1F[編集]
- スガキヤ(ラーメン・甘味)
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ 『岐阜新聞』2005年9月1日 朝刊一面
- ^ 『セゾンの歴史 変革のダイナミズム 上』 p.308 リブロポート、1991年
- ^ 『セゾンの歴史 変革のダイナミズム 下』 pp.208 - 210 リブロポート、1991年
- ^ “沿革”. PARCO CO.LTD. 2023年5月29日閲覧。
- ^ “マーサ21リニューアルプロジェクト”. MASA21. 2023年5月29日閲覧。
- ^ 『岐阜新聞』2005年9月1日 朝刊一面
- ^ “岐阜共栄が名鉄岐阜駅前の岐阜パルコ跡地を取得”. 建通新聞. (2012年8月9日) 2023/5/13閲覧
参考文献[編集]
- 由井常彦 編『セゾンの歴史 上巻 変革のダイナミズム』リブロポート、1991年。ISBN 4845706245。
- 由井常彦 編『セゾンの歴史 下巻 変革のダイナミズム』リブロポート、1991年。ISBN 4845706253。