宮原家
宮原家(みやはらけ)は、日本の高家のひとつ。本姓は源氏。家系は清和源氏の一族である河内源氏の流れを汲む足利氏の分流で、室町時代に初代鎌倉公方となった足利基氏(足利尊氏の四男)の系統である。
上総国市原郡宮原村(現在の千葉県市原市高滝)に御所を構えた。
来歴[編集]
- 足利基氏の後裔である古河公方足利高基の四男・晴直は、関東管領であった山内上杉憲房の養嗣子に望まれ、上杉憲寛を名乗ったが、憲房の実子の上杉憲政に家督を奪われた。憲寛の居所は以後、宮原御所と称された。
- 晴直の孫の宮原義照は、関東に移封されてからの徳川家康に仕え、旗本となった。
- 2代宮原義久の時、家康から武田勝頼の娘・貞との結婚と、「当主および嫡子のみが宮原姓を称し、庶子は穴山姓を称すること」を命じられた。
- 1709年より高家に転任、1040石を給されていた。宮原家から古河公方家の末裔である喜連川家に養子として入った者もいる。
- 1875年(明治8年)に宮原義路(義次郎)はかつての知行地である栃木県足利郡駒場村(現在の足利市)に移住した[1]。
系譜[編集]
凡例 太線は実子、二本線は養子。 数字は歴代当主 足利政氏 ┣━━━━━━━━━┓ 上杉憲房 ┃ (小弓公方初代) ┃ 足利高基 足利義明 ┣━━━━━━┓ ┣━━━━━━━━━━━━━┓ ∥ ┃ 足利晴氏 (足利晴直)=上杉憲寛 上杉憲政 ┃ ∥ 上杉義勝 上杉謙信 ┣━━┓ 宮原義照1┃ ∥┏━┛ 義久2 ┃ 晴克3 ┃ 義辰4 ┣━━━━━┳━━━━┓ 義真5 喜連川氏春 杉浦政令室 ∥┏━━━━━━━━━┛ 氏義(杉浦一之)6 ┃ 義汨7 ┣━━┳━┳━━┓ 義潔8 男子 ┃ 女子4名 ┣━━━┓┃ ┃ ∥┃ 義周9 義利 ┃ 義直10 ┏━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┫ ┃ ∥ ∥ ∥ 足利聡氏 義敬 義以 義路11 ┃ 宮原厳夫
脚注[編集]
- ^ 栃木県立文書館寄託文書宮原功家文書解題。2022年1月7日閲覧。