大野良蔵
大野 良蔵(良藏、おおの りょうぞう、1890年(明治23年)12月[1][2][3] - 1976年(昭和51年)2月18日[1])は、大正から昭和期の外科医[3]、政治家。貴族院勅選議員、医学博士。
経歴[編集]
福岡県[2][3]御笠郡二日市村[4](筑紫郡二日市町、筑紫野町を経て現筑紫野市)で大野良作の長男として生まれる[2][3]。1917年(大正6年)九州帝国大学医学部を卒業した[1][2][3]。卒業後、同医学部第一内科教室、同外科教室で勤務した[1]。1923年(大正12年)7月24日、九州帝大より医学博士号を授与された[1][5]。
1924年(大正13)大阪で外科大野病院を開業した[1][2]。その他、港病院院長、木津川病院院長も務めた[2][3]。
1946年(昭和21年)6月19日、貴族院勅選議員に任じられ[1][6]、研究会に属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[1]。
家系[編集]
南朝の忠臣・大野乗資は24代前の祖とされている[4]。
著作[編集]
- 大野病院編『大野病院弐拾周年記念論文集』大野病院、1944年。
親族[編集]
- 妻 大野美喜乃 - 鳥越密三郎二女[2][3]
- 二女 寿美子 - 侯爵菊亭実賢(菊亭公長の子)の妻、離縁[2][3][7]。東京銀行大阪支店貸付課長(のち東銀副頭取)の小沢将邦と再婚[8]。前夫との娘・賢子は連れ子として小沢の養子となり、小沢の姉・孝江と志賀直(志賀潔長男)の息子・逸夫と結婚、その娘・直子は菊亭章子(菊亭公長の妻)と養子縁組した。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『大衆人事録 近畿篇』帝国秘密探偵社、1940年。
- 中村徳五郎「医学博士大野良蔵氏の祖先 南朝の忠臣大野式部大輔乗資朝臣」『医文学』10 (5) (106) 、医文学社、1934年。
外部リンク[編集]
- 大野記念病院 沿革 ※2019年11月20日閲覧