アシドドのペスト
フランス語: La Peste d'Asdod 英語: The Plague of Ashdod | |
作者 | ニコラ・プッサン |
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製作年 | 1628–1630年 |
寸法 | 148 cm × 198 cm (58 in × 78 in) |
所蔵 | ルーヴル美術館、パリ |
『アシドドのペスト』(仏: La Peste d'Asdod、英: The Plague of Ashdod)は、17世紀フランスの巨匠ニコラ・プッサンによって描かれた、旧約聖書の主題に基づいたキャンバス上の油彩画である。パリのルーヴル美術館に所蔵されている[1]。
歴史[編集]
1630年に、プッサンはファブリツィオ・ヴァルグァルネラ (Fabrizio Valguarnera) に本作を依頼され、翌年画家に110エキュが支払われたことが知られている。なお、ヴァルグァルネラはシチリアの商人で、プッサンが本作を制作中にイタリアの画家アンジェロ・カロセッリに複製を作らせた。しかし、ヴァルグァルネラは盗まれた宝石を売った金をこの複製の売却から得た金としたため、マネーロンダリングの咎で裁判にかけられた。本作は、その後、数人の所有者を経て、1665年にフランス国王ルイ14世の所有となり、1785年にルーヴル美術館に入った[1]。
概要[編集]
この作品の主題は旧約聖書中の『サムエル記上』(V-1∼6) から取られている。神の怒りと人間の悲劇を扱ったもので、場所はペリシテ人の町アシドドの宮殿ダゴンである。ペリシテ人はイスラエル人との戦の最中に、画面左上の2本の円柱の間に置かれた箱 (主の契約の箱) を奪い取ってきた。その箱を運び込んだ宮殿に翌朝早く行ってみると、箱の左下に見えるようにダゴンの神像は「主の箱の前にうつむきに倒れ・・・ただ胴体だけとなっていた」という。同時に神は激しく憤り、「老若を問わず町の人々を撃たれたので、彼らの身に腫物ができた」。それはペストの発生であった。画面左手下の台座に1匹のネズミが見えるように、この疫病が「地を荒らすネズミ」とかかわりがあることが暗示されている[2]。
美術史アンソニー・ブラントは、1630年にミラノで発生した実際のペストがプッサンの念頭にあっただろうと指摘している[2]。とはいえ、17世紀には疫病を描いた美術作品は人気のない主題であった。そのようなものを見ると疫病が身体に現れると信じられていたからである[3]。本作には鼻を覆っている人が描かれているが、それは感染者の息がかかると自身も感染してしまうかもしれないという当時の信念を表している。また、おそらく、死にゆく人々の悪臭があまりにひどく、鼻を覆わなければならないという事実をも表している[4]。
本作は、17世紀以来、人間の情念の描写の見事さゆえに名高い。建築描写については、イタリアのマニエリスム期の建築家セバスティアーノ・セルリオが自身の著『建築』(II) の中に描いたギリシア悲劇の舞台を表した版画が参考にされている。また、画面に描かれている地がエジプトの近くであることが遠景に覗く頂部が欠けたオベリスクから見て取れる。建築描写の技巧は高いが、右端の柱の陰の部分や中景の樹々の葉の描写には不手際も見受けられる[2]。
脚注[編集]
- ^ a b ルーヴル美術館の本作のサイト (フランス語) [1] 2022年11月30日閲覧
- ^ a b c カンヴァス世界の大画家 14 プッサン、1984年刊行、84頁、ISBN 4-12-401904-1
- ^ Boeckl, Christine M. (1991). "A New Reading of Nicolas Poussin's "The Miracle of the Ark in the Temple of Dagon"". Artibus et Historiae. 12 (24): 119–145. doi:10.2307/1483417. JSTOR 1483417
- ^ Barker, Sheila (April 2019). "Poussin, Plague, and Early Modern Medicine". The Art Bulletin. 86 (4): 659–689. doi:10.2307/4134458. JSTOR 4134458
外部リンク[編集]
- ルーヴル美術館の本作のサイト [2]